2009年 06月 30日
peso
|
フラメンコを踊るとき。
peso(ペソ weight、重さ)を大事にしなさい、と。
レッスンを受けるたびに。アーティストたちに言われました。
それは、身体的な動きとしての重みの表現でもあり、内面の深さからくる重みの表現のことでもありました。
このpesoの表現は。
フラメンコの歌やコンパス(リズム)を理解したりすることも大事なのですが。
やはり”人間力”のようなものが大事だなぁ、とその力をつけようと模索しています。
どうしたら良いもんかと悩むわたしに。
"200kgのsaco de papa(サコデパパ じゃがいもの袋)を両手両足にもっていると思いなさい!"
"自分は地球から生えてると思って。tierra(ティエラ、大地)ごと動かすつもりで。"
と。具体的に”重み”を課してくれるアーティストもいたり。
わたしは割と楽観的な人間なので。
そういった生きることの重みや深さ。まだまだわかっていません。
なのでこの"peso"の表現が非常に重要になってくる曲に取り組むとき。
うろたえてしまうことがあります。
それでも。フラメンコ舞踊がかっこいい動きの表面だけをなぞるだけのものならば。
こんなにフラメンコに魅了されることはなかったでしょう。
そこにある”アルモノ”が何かを知りたくて踊り続けているのかもしれません。
大地からエネルギーを吸い上げ、自分の体に取り込み、放出する。
そんなイメージがあります。
もちろんギターやパルマ、カンテのパワーにも反応していきます。
そのエネルギーの放出をお客さんが受け取ってくれたとき。
フラメンコが成り立つような気がします。
自分だけががんばっても。
自分だけが何かを感じて表現しようとしても。
周りのことも考えられなければだめなのかもしれません。
その場にいるみんなで何かをcompartir(コンパルティール、share、共有する)できたとき。
最高のole(オレ)の瞬間がやってくるのかもしれません。
ちょっと無理があるけれども。お芋さんの重みつながりで。
家族もお芋大好きなので常にストックが。
そんな野菜かごの中にこんなおいもを発見。その後も伸びてます。
自分を幹にして育つその姿。踊るイメージが湧いてきます。
そういえば。わたしの名前”田倉”という芋焼酎をいただいたことがあります。
芋と。なんだか縁のあるワタシ・・・?
peso(ペソ weight、重さ)を大事にしなさい、と。
レッスンを受けるたびに。アーティストたちに言われました。
それは、身体的な動きとしての重みの表現でもあり、内面の深さからくる重みの表現のことでもありました。
このpesoの表現は。
フラメンコの歌やコンパス(リズム)を理解したりすることも大事なのですが。
やはり”人間力”のようなものが大事だなぁ、とその力をつけようと模索しています。
どうしたら良いもんかと悩むわたしに。
"200kgのsaco de papa(サコデパパ じゃがいもの袋)を両手両足にもっていると思いなさい!"
"自分は地球から生えてると思って。tierra(ティエラ、大地)ごと動かすつもりで。"
と。具体的に”重み”を課してくれるアーティストもいたり。
わたしは割と楽観的な人間なので。
そういった生きることの重みや深さ。まだまだわかっていません。
なのでこの"peso"の表現が非常に重要になってくる曲に取り組むとき。
うろたえてしまうことがあります。
それでも。フラメンコ舞踊がかっこいい動きの表面だけをなぞるだけのものならば。
こんなにフラメンコに魅了されることはなかったでしょう。
そこにある”アルモノ”が何かを知りたくて踊り続けているのかもしれません。
大地からエネルギーを吸い上げ、自分の体に取り込み、放出する。
そんなイメージがあります。
もちろんギターやパルマ、カンテのパワーにも反応していきます。
そのエネルギーの放出をお客さんが受け取ってくれたとき。
フラメンコが成り立つような気がします。
自分だけががんばっても。
自分だけが何かを感じて表現しようとしても。
周りのことも考えられなければだめなのかもしれません。
その場にいるみんなで何かをcompartir(コンパルティール、share、共有する)できたとき。
最高のole(オレ)の瞬間がやってくるのかもしれません。
ちょっと無理があるけれども。お芋さんの重みつながりで。
家族もお芋大好きなので常にストックが。
そんな野菜かごの中にこんなおいもを発見。その後も伸びてます。
自分を幹にして育つその姿。踊るイメージが湧いてきます。
そういえば。わたしの名前”田倉”という芋焼酎をいただいたことがあります。
芋と。なんだか縁のあるワタシ・・・?
by serranita
| 2009-06-30 10:06
| フラメンコのお話